【感想】木挽町のあだ打ち
Last Updated:2026/03/16(月)
「木挽町のあだ打ち」を見たにゃ〜🐱。
面白かったにゃ〜。
物語の根底には抗いようもない社会の理不尽があるにゃ。
怒りを感じる部分もあるにゃ。
だからこそ、森田座(現在の東銀座の歌舞伎座の源流)の戯曲に救われるにゃ。
まず、伊納菊之助役の長尾謙杜様😍はじめ、キャストが壮絶かっこ良すぎにゃ。

にゃーは前提知識ゼロで見ることにしているにゃ。
まず、「今から見られる映画はあるかにゃ?」と映画館のチケット購入サイトで上映時間を見るにゃ。
時間がマッチした映画の中から解説文だけ読んで面白そうだと感じたらハズレ覚悟で見ているにゃ。
「木挽町のあだ打ち」は当たりだったにゃ。
『90メートル』という菅野美穂が難病を抱えるシングルマザーを演じる作品にゃ。
YouTubeで予告編を見て再び涙が出たにゃ。
心の琴線に触れるものがあるにゃ。
「願うのはただ一つ。あなたの幸せ。」
母は偉大だにゃ。
まちがいにゃい。
だから、この文章の最後に書いたにゃ。
AIちゃん🐥に「木挽町のあだ打ち」を120%楽しむための解説をしてもらったにゃ。
この疑問が頭の片隅に引っかかるシトは多いと思うにゃ。
「木挽って何?」という疑問に行き着く前に、
「木挽が読めない」というシトもいると思うにゃ。
にゃーは、「にゃんかの仇討ち」ぐらいでしか認識できていにゃかったにゃ。
下記のAIちゃん🐥の解説で、「こびきちょう」について、よく分かったにゃ。
「木を挽く場所」だったから、木挽町(こびきちょう)にゃ。
挽くという漢字は、豆を挽くの「ひく」にゃ。
それでは、AIちゃん🐥による「木挽町のあだ打ち」の解説どうぞ。
太文字は、にゃーが読んで、重要だと思った箇所にゃ。
にゃーの感想は最後にネタバレ警告してから書かせて頂いたにゃ〜。
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立作者
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役者
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木戸芸者
以上、AIちゃん🐥による「木挽町のあだ打ち」の解説にゃ。
以下、ネタバレを含むにゃーの感想にゃ。
映画を見た後にどうぞ。
↓ネタバレ注意!!
↓ネタバレ注意!!
↓ネタバレ注意!!
↓ネタバレ注意!!
↓ネタバレ注意!!
↓ネタバレ注意!!
↓ネタバレ注意!!
↓ネタバレ注意!!
↓ネタバレ注意!!
↓ネタバレ注意!!


にゃーは、事前情報ゼロで見たので、素で女性だと思い込んだにゃ。
仇討ちシーンでは、伊納菊之助が女装して、敵(かたき)に対して女性と思わせて不意討ちする流れだったにゃ。
その女装を女装だと思わず、
「あれ、のん(能年 玲奈)!?」
と素で思ったにゃ。
仇討ちの口上が述べられる前まで、伊納菊之助役の長尾謙杜様😍はただただ美しく、女性にしか見えなかったにゃ。
しかも、のん(能年 玲奈)、あまちゃんだにゃ。
仇討ちの口上で、「我こそは!」と長尾謙杜様が語って
にゃーは、
「声、ふっと、え、え、え、にゃににゃに、男性にゃの!?」
「のんじゃにゃいの、誰だオマエ!?」
となったにゃ。
仇討ちシーンはYouTubeで公開されているにゃ。
↓
作兵衛役の北村一輝様の存在感もハンパにゃい。
曲は「人生は夢だらけ」。
2017年12月発売のアルバム『逆輸入 ~航空局~』のオープニング曲だにゃ。
かんぽ生命のCMの曲として、高畑充希に椎名林檎作詞作曲で提供された曲にゃ。
かんぽ生命のCMは宝塚歌劇風にゃ。
宝塚歌劇に合うように作られた曲だにゃ。
「木挽町のあだ打ち」という歌舞伎時代劇にもぴったりフィットにゃ。
にゃーは、このエンディング曲で涙が流れたにゃ。
クスッと笑えて、心がほっこりしたにゃ。
でも、なんで、心がほっこりしたのかにゃ。
そこには、抗いようのない社会の理不尽があるからにゃ。
タイトルの「木挽町のあだ打ち」が「仇討(あだうち)」と漢字になっていないのには意味があるにゃ。
この意味はこの物語の核心に触れるにゃ。
↓物語の核心に触れるネタバレ注意!!
↓物語の核心に触れるネタバレ注意!!
↓物語の核心に触れるネタバレ注意!!
↓物語の核心に触れるネタバレ注意!!
↓物語の核心に触れるネタバレ注意!!
↓物語の核心に触れるネタバレ注意!!
↓物語の核心に触れるネタバレ注意!!
↓物語の核心に触れるネタバレ注意!!
↓物語の核心に触れるネタバレ注意!!
↓物語の核心に触れるネタバレ注意!!
実は、「仇討ち」はしていにゃい。
死闘の末に敵(かたき)の首を討ち取ったように見せたのは、森田座の愉快な仲間たちが仕掛けた狂言だったんだにゃ。
抗いようの無い過酷な現実に抗う人々の群像劇だったのだにゃ。
AIちゃん🐥が最初にまとめてくれた時代背景にある理不尽な掟が重要にゃ。
森田座の愉快な仲間たちは、魂心の狂言によって世間を欺いて難を逃れることに成功しているにゃ。
森田座の愉快な仲間たち一人ひとりに、それぞれに理不尽な話があるにゃ。
そして、それぞれに卓越した得意分野があるにゃ。
この卓越した得意分野の総力戦が映画冒頭の仇討ちのシーンだったと分かった時に、涙が溢れ出すにゃ。
もし、親を討たれたら「武士の面目」の名のもと、その子息は仇討ちの旅に出なければならにゃい。
仇討の旅に出ることは過酷だにゃ。成功率が極めて低いのに目的を果たすまでは帰ることが許されにゃい。
仇討ちの掟は、独裁国家にとって都合のいい人減らしにゃ。
幕府からすれば、由緒ある藩が潰れた方が、自分のおかかえの大名を赴任させるポジションが空いて好都合にゃ。
北野たけし監督の映画「アウトレイジ」のようにヤクザ同士に殺し合いをさせて、警察にとって都合がよい組織が勢力を増していくような構図にゃ。
独裁国家が長く君臨するための構造化だにゃ。
父が死に、その息子が仇討ちの旅に出たことで、伊納家はオシマイ・DETH。
理不尽な掟の中、伊納家は御家断絶だにゃ。
森田座の愉快な仲間たちのひとりひとりに背負ってきた理不尽があるにゃ。
「木挽町のあだ打ち」についてAIちゃん🐥にまとめて貰ったにゃ。
以下、AIちゃん🐥によるまとめにゃ〜。
小説と映画がごっちゃになっているので注意にゃ。
太文字は、にゃーが読んで重要だと思った箇所にゃ。
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木戸芸者
吉原で遊女の子として生まれ育った男性である。吉原では男であるがゆえに居場所がなく、しばらくは幇間(太鼓持ち)として宴席の座を盛り上げる仕事をしていた。しかし、女たちの悲しい姿を間近で見続ける世界に耐えられなくなり、人の縁を頼って木挽町の森田座にたどり着く。芝居の面白さを客に伝える木戸芸者という仕事に転身し、ようやく自分に合った生業を見つけた。仇討ちの夜には、忠臣蔵を観たばかりで高揚している客たちを巧みに誘導し、芝居を「本物の仇討ち」として成立させる役割を果たした。
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立師
下級武士の三男坊であり、自ら身を立てる必要があった。ある御大家の剣術指南番の座を争う機会を得るが、対抗馬である道場主の甥・浩二郎は腕もないくせに卑怯な手段ばかりを使う男だった。立ち合いの前夜、浩二郎が与三郎に夜討ちを仕掛け、その場に居合わせた老人を斬り殺し、助けに入ためしや屋の娘・お三津を恫喝した。さらに浩二郎は自分が起こした事件を与三郎になすりつけ、道場から追い出してしまう。道場主は真実を知りながら甥を庇い、与三郎の父もまた道場主に味方して息子の気持ちを蔑ろにした。武士の世界に絶望した与三郎はお三津に勧められて初めて芝居を観に行き、その感動を役者の尾上松助に伝えたところ、稽古場で剣の指南をしないかと誘われる。こうして与三郎は森田座の立師となり、やがてお三津とも世帯を持った。仇討ちの夜には、菊之助に本物に見える殺陣を仕込む中心的役割を担った。
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衣装方
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衣装方
幼い頃に故郷が浅間山の噴火被害に遭い、道端で餓死寸前だったところを初代・芳澤ほたるに助けられた。死んだまま放置されていた母親のことも焼き場まで運んで弔ってもらった。その後、焼き場で隠亡(死体処理の仕事)をしていた米吉爺さんに拾われて「六」と名付けられ育てられるが、まもなく米吉も亡くなる。寺で身につけた手先の器用さを武器に仕立屋に弟子入りするも、先輩職人から隠亡の過去を罵られ、「穢れた手では白帷子(死装束)しか任せられない」と嫌がらせを受けた。親方もその言い分を否定してくれなかったため、六は奉公先を出る。再び路頭に迷ったところで偶然ふたたび芳澤ほたると再会し、芝居小屋の仕立て係として雇われた。初代ほたるもかつて陰間茶屋で色子をしていた過去を持ち、世間から蔑まれた経験を共有していた。初代の死後、六は「二代目芳澤ほたる」の名を預かり、いつかその名にふさわしい役者に継がせることを自らの使命としている。仇討ちの夜には、初代の形見である赤い振袖を菊之助に託し、視覚的な演出の要を担った。
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小道具方
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小道具方
「あ」と「うん」しか話さないため「阿吽の久蔵」と呼ばれる木彫り職人である。妻のお与根(イモトアヤコ)がもっぱら代弁者を務める。二人にはまあ坊という息子がいたが、久蔵が仕事で長期不在の間に熱病で亡くなった。その後、仕事で子どもの切り首(芝居の小道具)を作ることになった久蔵は、我が子を亡くしたばかりで手が動かなくなる。しかし魂を込めて完成させたその作品は、まあ坊が元気だった頃の愛らしい寝顔そのものだった。お与根はそれを見て声を上げて泣き、芝居を観に行った久蔵も初めて涙を見せた。芸が人の悲しみを救うことを身をもって知った職人である。仇討ちの夜には、作兵衛の生首に見せかけるための精巧な「作り物の首」を製作し、計画の成否を左右する最重要の技術的貢献を果たした。
以上、AIちゃん🐥によるまとめにゃ。
AIちゃん🐥は、「徒」を「むだ」と解釈しているけど、「徒」と書いて「あだ」と読むにゃ。
徒桜(あだざくら)、徒花(あだばな)という言葉の「徒(あだ)」だにゃ。
「徒桜」には、儚く散ってしまって、ずっと咲いていて欲しいという思いを裏切られるという意味があるにゃ。
「徒花」には、咲くと思ったのに蕾のままで終わってしまう、咲いて欲しいのに咲かなくて裏切られたという意味があるにゃ。
だから、「あだ」には、期待を裏切るとか、欺く(あざむく)という意味があるにゃ。
理不尽な世の中を正面から受けるのではなく、創作の力によって世の中をあざむき、実際に世の中を変えているところがおもしろいにゃ。
創作の力が無ければ、伊納家に限らず、森田座の愉快な仲間たち全員の人生はつまらないものになっていた可能性があるにゃ。
「この世にあって欲しい物を作るよ」
「そう信じて丁寧に拵えて(こしらえて)居ましょう」
「誰かを愛したい 私の自由」
「この人生は夢だらけ」
歌詞が森田座の愉快な仲間たちが創作した仇討ちの美談と重なるにゃ。
森田座の愉快な仲間たち、ひとりひとりが、日頃の歌舞伎の演出のために、この世にあって欲しい物を作る力を丁寧に拵えて(こしらえて)居たにゃ。
見事なシナリオ、見事な殺陣(たて)、見事な着物、見事な小道具、見事な客引き、そして、イケメン😍。
結局、パズルの最後のピースはイケメンにゃのかも。
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役者
面白かった
木挽町のあだ打ち、見たにゃ。面白かったにゃ〜。
物語の根底には抗いようもない社会の理不尽があるにゃ。
怒りを感じる部分もあるにゃ。
だからこそ、森田座(現在の東銀座の歌舞伎座の源流)の戯曲に救われるにゃ。
まず、伊納菊之助役の長尾謙杜様😍はじめ、キャストが壮絶かっこ良すぎにゃ。

前提知識ゼロで見たけど「当たり」
にゃーは前提知識ゼロで見ることにしているにゃ。
まず、「今から見られる映画はあるかにゃ?」と映画館のチケット購入サイトで上映時間を見るにゃ。
時間がマッチした映画の中から解説文だけ読んで面白そうだと感じたらハズレ覚悟で見ているにゃ。
「木挽町のあだ打ち」は当たりだったにゃ。
本編前の他の作品の予告編で涙が出たにゃ
映画好きあるあるかもしれにゃいけど、「木挽町のあだ打ち」の本編の前の別の作品の予告編で涙が出たにゃ。『90メートル』という菅野美穂が難病を抱えるシングルマザーを演じる作品にゃ。
YouTubeで予告編を見て再び涙が出たにゃ。
心の琴線に触れるものがあるにゃ。
「願うのはただ一つ。あなたの幸せ。」
母は偉大だにゃ。
まちがいにゃい。
「木挽町のあだ打ち」の感想の前に
にゃーの「木挽町のあだ打ち」の感想は、ガッツリ、ネタバレにゃ。だから、この文章の最後に書いたにゃ。
AIちゃん🐥に「木挽町のあだ打ち」を120%楽しむための解説をしてもらったにゃ。
「木挽町」って何なの!?
「木挽町」って何なの!?この疑問が頭の片隅に引っかかるシトは多いと思うにゃ。
「木挽って何?」という疑問に行き着く前に、
「木挽が読めない」というシトもいると思うにゃ。
にゃーは、「にゃんかの仇討ち」ぐらいでしか認識できていにゃかったにゃ。
下記のAIちゃん🐥の解説で、「こびきちょう」について、よく分かったにゃ。
「木を挽く場所」だったから、木挽町(こびきちょう)にゃ。
挽くという漢字は、豆を挽くの「ひく」にゃ。
それでは、AIちゃん🐥による「木挽町のあだ打ち」の解説どうぞ。
太文字は、にゃーが読んで、重要だと思った箇所にゃ。
にゃーの感想は最後にネタバレ警告してから書かせて頂いたにゃ〜。
映画『木挽町のあだ討ち』を120%楽しむための完全ガイド
2026年2月27日に全国公開された映画『木挽町のあだ討ち』は、直木賞・山本周五郎賞をダブル受賞した永井紗耶子の傑作時代小説を、源孝志監督が「時代劇×ミステリー×人情ドラマ」という新たな切り口で映画化した話題作である。柄本佑と渡辺謙を筆頭とする豪華キャストが江戸・木挽町の芝居小屋を舞台に繰り広げる本作は、Filmarks 4.1、映画.com 4.2と高い観客満足度を記録し、公開2週連続で映画.comアクセスランキング首位を獲得した。本稿では、ネタバレを一切含まず、映画をより深く味わうための予備知識を網羅的にまとめる。映画の全体像と制作陣
本作の監督・脚本を手がけたのは源孝志である。NHK『京都人の密かな愉しみ』でATP賞グランプリ、『忠臣蔵狂詩曲No.5 中村仲蔵』で芸術祭大賞、『グレースの履歴』で向田邦子賞、『令和元年版 怪談 牡丹燈籠』で芸術選奨文部科学大臣賞と、数々の栄誉を受けてきた演出家である。江戸の歌舞伎世界に深い造詣を持ち、文学的な脚本と重層的な物語構成を持ち味とする。本作では「刑事コロンボ」と「オーシャンズ11」からインスピレーションを得たと語り、原作では聞き役だった主人公を「ディテクティブ(探偵)」に据える映画独自の構成を採用した。制作は東映京都撮影所が担い、配給は東映。製作幹事には東映とアミューズクリエイティブスタジオが名を連ねる。上映時間は120分、レーティングはG(全年齢対象)。音楽は阿部海太郎が担当し、エンディングテーマには椎名林檎「人生は夢だらけ」が起用された。源監督はこの楽曲について「"陽"の椎名林檎の魅力を感じさせる最たるもの」と語り、鑑賞後の高揚感を意図した選曲だと明かしている。舞台は文化年間の木挽町——芝居と活気に満ちた江戸の一角
物語の舞台は1810年頃(文化年間)の江戸・木挽町である。現在の東京都中央区銀座東部、歌舞伎座が建つ東銀座エリアにあたる。「木挽」の名は、慶長年間に徳川家康の江戸城大修築のため、鋸で原木を製材する木挽き職人を大量に住まわせたことに由来する。慶長17年(1612年)に三十間堀が開削されると、その東側に町が形成された。芝居小屋の町としての発展
木挽町を語る上で欠かせないのが芝居小屋の存在である。寛永19年(1642年)の山村座に始まり、河原崎座、そして万治3年(1660年)には森田座が開場した。森田座は中村座・市村座と並ぶ「江戸三座」の一角を占め、幕府公認の歌舞伎興行を行った。これら三座は「木挽町三座」と総称され、「木挽町へ行く」と言えば芝居見物に行くことを意味するほどの賑わいだった。芝居小屋の周辺には、役者や狂言作者(脚本家)はもちろん、観劇客を接待する芝居茶屋、客を呼び込む木戸芸者、殺陣を指導する立師、衣裳方、小道具方といった裏方の職人たち、さらに浮世絵の版元や水茶屋、土産物屋が軒を連ねていた。堀に面した立地から河岸には荷揚場があり、裕福な客は船で乗り付けたという。映画では、この活気あふれる木挽町の芝居文化が東映京都撮影所のフル活用によって見事に再現されている。「仇討ち」とは何だったのか——武士の掟、その光と影
映画のタイトルにもなっている「仇討ち(敵討ち)」は、江戸時代に制度として存在した復讐の慣習である。主君や目上の尊属(父母・兄など)を殺害された武士が、加害者に対して私刑として復讐を行うことを指す。単なる感情的な報復ではなく、武士の意地と面目を維持するための制度として幕府が法的に認めていた点が重要である。厳格な届出制度と細かなルール
仇討ちには正式な手続きが必要だった。まず討手(仇討ちをする者)は藩主の許可を得て免状を受け、藩主が幕府の三奉行に届けを提出した。奉行所は「敵討帳」に記録し、その写しが許可証として討手に渡された。許可なき仇討ちは殺人罪に問われる可能性があった。仇討ちが認められるのは「子が親の仇を討つ」ような目上の尊属のための場合に限られ、妻子や弟妹、友人のための仇討ちは原則として認められなかった。また、仇討ちされた側の遺族がさらに報復する「重敵討」は禁止され、連鎖的な復讐を防ぐ仕組みが設けられていた。仇討ちの旅に出た武士は、果たすまで帰藩が許されず、藩からの俸禄も止まった。記録に残る仇討ちは129件、成功率はわずか数パーセントとされ、多くの武士が経済的に困窮しながら何年も仇を探し続けたという苛酷な現実があった。日本三大仇討ち
日本文化に深く根づいた仇討ちの物語として、「三大仇討ち」が知られている。曽我兄弟の仇討ち(1193年)は最も古い。父を殺された曾我祐成・時致の兄弟が17年間の雌伏の末、源頼朝主催の富士の巻狩りの夜に仇・工藤祐経を討った。兄弟の壮絶な最期は『曽我物語』として語り継がれ、江戸時代の正月芝居には必ず「曽我物」が演じられるのが慣例だった。鍵屋の辻の決闘(1634年)は「伊賀越の仇討ち」とも呼ばれ、渡辺数馬と剣豪・荒木又右衛門が11人の敵勢を相手に約5時間の死闘の末に仇を討った事件である。後世の仇討ちの手本とされた。そして赤穂浪士の討ち入り(1702年)。大石内蔵助率いる47人の元藩士が吉良邸に討ち入った事件は、人形浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』として舞台化され、日本文化の一大テーマとなった。映画『木挽町のあだ討ち』の中でも、仇討ちの夜に森田座で上演されていた演目がまさにこの『仮名手本忠臣蔵』であるという設定が物語に奥行きを与えている。仇討ちの終焉
1873年(明治6年)、太政官布告第37号「復讐ヲ厳禁ス」により仇討ちは正式に禁止された。近代国家の建設にあたり、処罰は国家の公権として一元化する必要があったためである。明治13年(1880年)の旧刑法制定で仇討ちは謀殺罪の対象となり、制度は完全に終焉を迎えた。豪華キャスト16人が織りなす「森田座アベンジャーズ」
源監督自ら「森田座アベンジャーズ」と呼ぶ本作のキャストは、実力派からフレッシュな顔ぶれまで多彩である。以下、主要キャストとその魅力を紹介する。柄本佑(加瀬総一郎役/主演)
仇討ち事件の真相を探る浪人を演じる。NHK大河ドラマ『光る君へ』(2024年)の藤原道長役で一躍全国区の人気を獲得した。飄々とした佇まいからシリアスまで演じ分ける幅広さが持ち味で、源監督はこの役を「刑事コロンボ」のピーター・フォーク的イメージで構想した。父は柄本明、妻は安藤サクラという俳優一家の出身である。代表作に『きみの鳥はうたえる』(2018年)がある。渡辺謙(篠田金治役)
森田座を束ねる立作者(脚本家兼演出家)を演じる。『ラスト サムライ』(2003年)で世界的に知られるこの大俳優は、実は別作品の打ち合わせ中に源監督へ「この小説、映画にならないかなぁ」と自ら話しかけたことがキャスティングのきっかけになったという。圧倒的な存在感と重厚な演技で物語の要を担う。篠田金治(渡辺謙)
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長尾謙杜(伊納菊之助役)
仇討ちの使命を背負う17歳の若侍を演じる、なにわ男子のメンバーである。NHK大河ドラマ『どうする家康』(2023年)や映画『室町無頼』(2025年)で時代劇の経験を積み、太秦映画村公式アンバサダーも務める。プロデューサーが「男も魅入ってしまうほどの美少年」と評した華やかさが役柄に合致した。完成披露試写会での「ヒロイン宣言」も話題になった。伊納菊之助(長尾謙杜)
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北村一輝(作兵衛役)
仇討ちの相手となる無法者を演じる。『テルマエ・ロマエ』シリーズや映画『昼顔』で知られ、善悪の二面性を演じる圧倒的な存在感が持ち味である。プロデューサーは「"悪"を演じて観客をスクリーンに引きずり込める稀有な役者」と評している。滝藤賢一(相良与三郎役)
森田座の立師(殺陣指導役)を演じる。ドラマ「半沢直樹」(2013年)で強烈な印象を残したカメレオン俳優で、源監督作品の常連でもある。瀬戸康史(一八役)
森田座の木戸芸者を演じる。NHK連続テレビ小説『まんぷく』(2018年)で知られる華やかな演技を見せる。一八(瀬戸康史)
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山口馬木也(伊納清左衛門役)
映画『侍タイムスリッパー』(2024年)で第48回日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞した時代劇の実力派である。その他の注目キャスト
沢口靖子(「科捜研の女」シリーズ)が菊之助の母を凛とした母性で演じ、元宝塚月組トップ娘役の愛希れいかがめし屋の看板娘を務める。元男闘呼組の高橋和也は女形の衣裳方、名バイプレーヤーの正名僕蔵は小道具方を担当する。イモトアヤコの時代劇初挑戦も注目点である。ベテラン石橋蓮司が老練な家老を演じ、映画『侍タイムスリッパー』出身の冨家ノリマサと本田博太郎が劇中の歌舞伎役者を華やかに体現している。直木賞・山本周五郎賞ダブル受賞——原作が得た圧倒的な評価
映画の原作となった永井紗耶子の小説『木挽町のあだ討ち』(2023年1月、新潮社刊)は、第169回直木賞と第36回山本周五郎賞をダブル受賞した。このダブル受賞は史上3人目の快挙である。直木賞では垣根涼介『極楽征夷大将軍』と同時受賞となり、選考委員9名中7名が好意的な評価を寄せた。選考委員の評価
宮部みゆきは「江戸市井ものにミステリーの技法を持ち込むことで、江戸人情小説の新たな可能性を示した」と革新性を称え、林真理子は「精巧にきっちりと組み立てられた作品」と構成力を絶賛した。三浦しをんは「女性や弱い立場に置かれた人々への眼差しも公正で、芝居をはじめとする創作物がどれだけ私たちの心を支え、励ましてくれるかを、本作自体が証明している」と評した。浅田次郎は記者会見で「理不尽な社会に対する批判も盛り込まれている、行き届いた作品」と講評している。ミステリーランキングと読者評価
ミステリーランキングでも高い評価を受け、「このミステリーがすごい!2024年版」6位、「ミステリが読みたい!2024年版」4位、「週刊文春ミステリーベスト10」8位にランクインした。Amazonでは★4.3(★5評価が約59%)、読書メーターでは好評率86%を記録し、読者からは「落語を聴いているような映像的な文章」「時代小説が苦手な人でも読みやすい」と幅広い層から支持を集めている。永井紗耶子という作家
著者の永井紗耶子(1977年生)は、慶應義塾大学文学部を卒業後、産経新聞記者を経てフリーライターに転身し、2010年に「絡繰り心中」で小学館文庫小説賞を受賞してデビューした。佛教大学大学院で仏教文化の修士号も取得している。『商う狼 江戸商人 杉本茂十郎』(2020年)で細谷正充賞、本屋が選ぶ時代小説大賞、新田次郎文学賞の三冠を達成し、『女人入眼』(2022年)で直木賞候補となった。新聞記者時代に培った取材力を活かした緻密な時代考証と、歴史の表舞台ではなく芝居小屋の裏方や町人など社会の周縁に生きる人々に光を当てる作風が特徴である。歌舞伎の愛好家でもあり、その深い知識が本作の血肉となっている。時代劇の新たな地平を開く映像体験
映画『木挽町のあだ討ち』の見どころは、まず東映京都撮影所が総力を挙げて再現した木挽町の世界観にある。江戸の街並みから森田座の内部まで、文化文政時代の空気感がスクリーン上に立ち上がる。特に劇中で歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』を本格的に再現した場面は圧巻で、冨家ノリマサ演じる七代目市川團十郎と本田博太郎演じる五代目松本幸四郎が華やかに舞台を飾る。仇討ちシーンの雪景色と菊之助の赤い着物・和傘のコントラストは、予告編段階から大きな話題を呼んだ映像美である。演出面では、源監督の持ち味である入れ子構造の物語と繊細な人間描写が光る。観客からは「アガサ・クリスティ級の没入感」「時代劇がネクストステージに入った」「時代劇が苦手な人でも楽しめる」といった声が上がっており、ミステリーとしてのスリルと人情劇としての温かさを両立させた点が高く評価されている。源監督は本作について「大衆が気持ちよく楽しめる設計を意識した」と語っており、普段は時代劇を観ない層にも間口を広げるエンターテインメントとして仕上がっている。結論——「あだ討ち」の先にあるもの
本作が特別なのは、タイトルの「あだ討ち」がひらがなで表記されている点に象徴されるように、表面上の仇討ち譚の奥に、江戸の芝居文化に生きた人々の人生そのものが織り込まれていることである。直木賞選考委員の三浦しをんが述べた「創作物がどれだけ人の心を支えてくれるか」というテーマは、映画においてもそのまま核心を突く。源孝志という江戸歌舞伎に精通した監督と、永井紗耶子という芝居の裏方に光を当てる作家の出会いが、時代劇の新たな可能性を切り拓いた。歴史の知識を予習して臨めば、木挽町の空気がより鮮やかに感じられるはずである。以上、AIちゃん🐥による「木挽町のあだ打ち」の解説にゃ。
以下、ネタバレを含むにゃーの感想にゃ。
映画を見た後にどうぞ。
↓ネタバレ注意!!
↓ネタバレ注意!!
↓ネタバレ注意!!
↓ネタバレ注意!!
↓ネタバレ注意!!
↓ネタバレ注意!!
↓ネタバレ注意!!
↓ネタバレ注意!!
↓ネタバレ注意!!
↓ネタバレ注意!!
感想
菊之助役はのん「能年 玲奈」!?
まず、男も魅入ってしまうほどの美少年の長尾謙杜(伊納菊之助役)様にゃ😍。

にゃーは、事前情報ゼロで見たので、素で女性だと思い込んだにゃ。
仇討ちシーンでは、伊納菊之助が女装して、敵(かたき)に対して女性と思わせて不意討ちする流れだったにゃ。
その女装を女装だと思わず、
「あれ、のん(能年 玲奈)!?」
と素で思ったにゃ。
仇討ちの口上が述べられる前まで、伊納菊之助役の長尾謙杜様😍はただただ美しく、女性にしか見えなかったにゃ。
しかも、のん(能年 玲奈)、あまちゃんだにゃ。
仇討ちの口上で、「我こそは!」と長尾謙杜様が語って
にゃーは、
「声、ふっと、え、え、え、にゃににゃに、男性にゃの!?」
「のんじゃにゃいの、誰だオマエ!?」
となったにゃ。
仇討ちシーンはYouTubeで公開されているにゃ。
↓
作兵衛役の北村一輝様の存在感もハンパにゃい。
エンディングテーマにサプライズ
エンディングテーマはにゃんと、椎名林檎様😍にゃ〜。曲は「人生は夢だらけ」。
2017年12月発売のアルバム『逆輸入 ~航空局~』のオープニング曲だにゃ。
かんぽ生命のCMの曲として、高畑充希に椎名林檎作詞作曲で提供された曲にゃ。
かんぽ生命のCMは宝塚歌劇風にゃ。
宝塚歌劇に合うように作られた曲だにゃ。
「木挽町のあだ打ち」という歌舞伎時代劇にもぴったりフィットにゃ。
大人になってまで胸を焦がして
時めいたり傷付いたり慌ててばっかり
この世にあって欲しい物を作るよ
小さくて慎ましくて無くなる瞬間
こんな時代じゃあ手間暇掛けようが
掛けなかろうが終いには一緒くた
きっと違いの分かる人は居ます
そう信じて丁寧に拵えて居ましょう
あの人に愛して貰えない今日を
正面切って進もうにも難しいがしかし
実感したいです 喉元過ぎればほら酸いも甘いもどっちもおいしいと
これが人生 私の人生 あぁ 鱈腹味わいたい
誰かを愛したい 私の自由
この人生は夢だらけ
この世にあって欲しい物があるよ
大きくて勇ましくて動かない永遠
こんな時代じゃあ
そりゃあ新しかろう
良かろう
だろうが古い物は尊い
ずっと自然に年を取りたいです
そう貴方のように居たいです富士山
二度と会えない人の幸せなんて
遠くから願おうにも洒落臭いがしかし
痛感したいです
近寄れば悲しく
離れれば楽しく
見えてくるでしょう
それは人生 私の人生 あぁ 誰の物でもない
奪われるものか 私は自由
この人生は夢だらけ
にゃーは、このエンディング曲で涙が流れたにゃ。
社会の理不尽
「木挽町のあだ打ち」は謎解きコメディバラエティーにゃ。クスッと笑えて、心がほっこりしたにゃ。
でも、なんで、心がほっこりしたのかにゃ。
そこには、抗いようのない社会の理不尽があるからにゃ。
タイトルの「木挽町のあだ打ち」が「仇討(あだうち)」と漢字になっていないのには意味があるにゃ。
この意味はこの物語の核心に触れるにゃ。
↓物語の核心に触れるネタバレ注意!!
↓物語の核心に触れるネタバレ注意!!
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実は、「仇討ち」はしていにゃい。
死闘の末に敵(かたき)の首を討ち取ったように見せたのは、森田座の愉快な仲間たちが仕掛けた狂言だったんだにゃ。
抗いようの無い過酷な現実に抗う人々の群像劇だったのだにゃ。
AIちゃん🐥が最初にまとめてくれた時代背景にある理不尽な掟が重要にゃ。
森田座の愉快な仲間たちは、魂心の狂言によって世間を欺いて難を逃れることに成功しているにゃ。
森田座の愉快な仲間たち一人ひとりに、それぞれに理不尽な話があるにゃ。
そして、それぞれに卓越した得意分野があるにゃ。
この卓越した得意分野の総力戦が映画冒頭の仇討ちのシーンだったと分かった時に、涙が溢れ出すにゃ。
江戸幕府が独裁体制を築くための理不尽な掟
・武士の意地と面目を維持するための制度として幕府が法的に認めていた・仇討ちの成功率はわずか数パーセントもし、親を討たれたら「武士の面目」の名のもと、その子息は仇討ちの旅に出なければならにゃい。
仇討の旅に出ることは過酷だにゃ。成功率が極めて低いのに目的を果たすまでは帰ることが許されにゃい。
仇討ちの掟は、独裁国家にとって都合のいい人減らしにゃ。
幕府からすれば、由緒ある藩が潰れた方が、自分のおかかえの大名を赴任させるポジションが空いて好都合にゃ。
北野たけし監督の映画「アウトレイジ」のようにヤクザ同士に殺し合いをさせて、警察にとって都合がよい組織が勢力を増していくような構図にゃ。
独裁国家が長く君臨するための構造化だにゃ。
父が死に、その息子が仇討ちの旅に出たことで、伊納家はオシマイ・DETH。
理不尽な掟の中、伊納家は御家断絶だにゃ。
理不尽な状況が生み出す力
「木挽町のあだ打ち」で描かれる社会の理不尽は伊納家に起きた理不尽だけじゃにゃい。森田座の愉快な仲間たちのひとりひとりに背負ってきた理不尽があるにゃ。
「木挽町のあだ打ち」についてAIちゃん🐥にまとめて貰ったにゃ。
以下、AIちゃん🐥によるまとめにゃ〜。
小説と映画がごっちゃになっているので注意にゃ。
太文字は、にゃーが読んで重要だと思った箇所にゃ。
映画『木挽町のあだ討ち』——森田座の人々と伊納家の悲劇【ネタバレあり】
本稿では、映画『木挽町のあだ討ち』の核心に踏み込み、森田座の主要人物それぞれの来歴と、伊納家が被った「社会の理不尽」の全容を整理する。物語の重大な真相を含むため、未見の方はご注意いただきたい。物語の核心——「仇討ち」は芝居だった
本作最大の秘密は、雪の夜に衆人環視のもとで行われた「木挽町の仇討ち」が、実は森田座の面々が総力を挙げて仕組んだ「芝居」だったという点にある。菊之助は作兵衛を実際には斬っていない。忠臣蔵の舞台が終わった直後、本物の仇討ちを見たと信じ込んだ観客たちが「目撃者」となることで、芝居は現実として成立した。久蔵が作った精巧な「作り物の首」が作兵衛の生首として掲げられ、立師・与三郎が指導した殺陣によって真剣勝負に見せかけ、ほたるが託した赤い振袖と白装束の衣裳が劇的な視覚効果を生み、一八が観客を誘導し、金治がすべての筋書きを描いた。フィクションが現実を救うという、芝居小屋ならではの解決策であった。森田座の主要人物——それぞれの「悪所」からの脱出
物語は、総一郎が森田座の関係者を一人ずつ訪ね、仇討ちの顛末を聞く形式で進む。しかし彼らが語るのは、仇討ちの詳細よりもむしろ自分自身の半生である。全員に共通するのは、社会の周縁に追いやられた過去を持ちながら、芝居の世界に救われたという点である。原作では芝居小屋や遊郭など身分の低い者が集まる場所を「悪所」と呼び、彼らが「春を売る世界」から「芸を売る世界」へ生き方を変えたことが繰り返し語られる。一八(木戸芸者)——瀬戸康史
一八(瀬戸康史)
👆クリックで拡大🔎木戸芸者
吉原で遊女の子として生まれ育った男性である。吉原では男であるがゆえに居場所がなく、しばらくは幇間(太鼓持ち)として宴席の座を盛り上げる仕事をしていた。しかし、女たちの悲しい姿を間近で見続ける世界に耐えられなくなり、人の縁を頼って木挽町の森田座にたどり着く。芝居の面白さを客に伝える木戸芸者という仕事に転身し、ようやく自分に合った生業を見つけた。仇討ちの夜には、忠臣蔵を観たばかりで高揚している客たちを巧みに誘導し、芝居を「本物の仇討ち」として成立させる役割を果たした。
相良与三郎(立師・殺陣指導役)——滝藤賢一
相良与三郎(滝藤賢一)
👆クリックで拡大🔎立師
下級武士の三男坊であり、自ら身を立てる必要があった。ある御大家の剣術指南番の座を争う機会を得るが、対抗馬である道場主の甥・浩二郎は腕もないくせに卑怯な手段ばかりを使う男だった。立ち合いの前夜、浩二郎が与三郎に夜討ちを仕掛け、その場に居合わせた老人を斬り殺し、助けに入ためしや屋の娘・お三津を恫喝した。さらに浩二郎は自分が起こした事件を与三郎になすりつけ、道場から追い出してしまう。道場主は真実を知りながら甥を庇い、与三郎の父もまた道場主に味方して息子の気持ちを蔑ろにした。武士の世界に絶望した与三郎はお三津に勧められて初めて芝居を観に行き、その感動を役者の尾上松助に伝えたところ、稽古場で剣の指南をしないかと誘われる。こうして与三郎は森田座の立師となり、やがてお三津とも世帯を持った。仇討ちの夜には、菊之助に本物に見える殺陣を仕込む中心的役割を担った。
芳澤ほたる(女形・衣裳方)——高橋和也
二代目芳澤ほたる(高橋和也)
👆クリックで拡大🔎衣装方
二代目芳澤ほたる(高橋和也)
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幼い頃に故郷が浅間山の噴火被害に遭い、道端で餓死寸前だったところを初代・芳澤ほたるに助けられた。死んだまま放置されていた母親のことも焼き場まで運んで弔ってもらった。その後、焼き場で隠亡(死体処理の仕事)をしていた米吉爺さんに拾われて「六」と名付けられ育てられるが、まもなく米吉も亡くなる。寺で身につけた手先の器用さを武器に仕立屋に弟子入りするも、先輩職人から隠亡の過去を罵られ、「穢れた手では白帷子(死装束)しか任せられない」と嫌がらせを受けた。親方もその言い分を否定してくれなかったため、六は奉公先を出る。再び路頭に迷ったところで偶然ふたたび芳澤ほたると再会し、芝居小屋の仕立て係として雇われた。初代ほたるもかつて陰間茶屋で色子をしていた過去を持ち、世間から蔑まれた経験を共有していた。初代の死後、六は「二代目芳澤ほたる」の名を預かり、いつかその名にふさわしい役者に継がせることを自らの使命としている。仇討ちの夜には、初代の形見である赤い振袖を菊之助に託し、視覚的な演出の要を担った。
久蔵(小道具方)——正名僕蔵
久蔵(正名僕蔵)
👆クリックで拡大🔎小道具方
久蔵(正名僕蔵)
👆クリックで拡大🔎小道具方
「あ」と「うん」しか話さないため「阿吽の久蔵」と呼ばれる木彫り職人である。妻のお与根(イモトアヤコ)がもっぱら代弁者を務める。二人にはまあ坊という息子がいたが、久蔵が仕事で長期不在の間に熱病で亡くなった。その後、仕事で子どもの切り首(芝居の小道具)を作ることになった久蔵は、我が子を亡くしたばかりで手が動かなくなる。しかし魂を込めて完成させたその作品は、まあ坊が元気だった頃の愛らしい寝顔そのものだった。お与根はそれを見て声を上げて泣き、芝居を観に行った久蔵も初めて涙を見せた。芸が人の悲しみを救うことを身をもって知った職人である。仇討ちの夜には、作兵衛の生首に見せかけるための精巧な「作り物の首」を製作し、計画の成否を左右する最重要の技術的貢献を果たした。
篠田金治(立作者)——渡辺謙
すべての計画を立案し指揮した森田座の頭脳である。本名は野々山正二といい、もとは旗本の次男坊だった。恵まれた環境に生まれながらも、その恵まれていることにかえって無力感と劣等感を抱えていた。かつてモテまくりの許婚・妙がいたが、武士道のかけらもない遊び人の自分よりも真面目な男と幸せになるべきだという理由で自ら縁談を断っている。上方からやってきた狂言作者・並木五瓶の生き方に感化され、弟子入りして「篠田金治」となった。この妙こそが後に伊納清左衛門に嫁ぎ、菊之助の母となる人物である。妙は仇討ちに旅立つ菊之助に「木挽町の篠田金治を頼れ」と助言し、金治のもとにSOSの手紙も送っていた。金治は旧知の妙の息子を救うべく、森田座の仲間に協力を呼びかけ、忠臣蔵の千穐楽の夜に合わせて「なんちゃって仇討ち」の壮大な筋書きを描き上げた。伊納家が受けた「社会の理不尽」——武士の掟が人を殺す構造
本作の根底にあるテーマは、武家社会の硬直した掟と権力構造が、善良な人間をいかに追い詰めるかという問題である。伊納家が被った理不尽は、一つの横領事件から連鎖的に発生した。発端——藩の横領と清左衛門への密命
美濃遠山藩では、家老・滝川主馬(石橋蓮司)が特産の美濃和紙の振興で功労者とされていたが、裏では藩に入る運上金の一部を横領していた。新藩主・遠山安房守(野村周平)はこの不正を察知し、馬廻り役の伊納清左衛門(山口馬木也)に極秘で調査を命じた。清左衛門は実直な武士であり、命じられるまま不正の証拠となる帳簿を追った。濡れ衣と追い詰められた父
しかし家老・滝川は清左衛門の動きを察知し、逆に清左衛門を横領の犯人に仕立て上げた。清左衛門の叔父もまた滝川側についた。濡れ衣を着せられた清左衛門は、このままでは伊納家そのものが取り潰しになり、妻の妙と息子の菊之助にまで害が及ぶことを悟る。武士の世界には「白か黒かしかない」。不正を告発しようにも権力者に握りつぶされ、逃げれば脱藩の罪人、戦えば謀反人にされる。清左衛門の「乱心」という偽装
追い詰められた清左衛門が選んだのは、自らの「乱心」を装い、下男の作兵衛に自分を殺させるという壮絶な計画だった。清左衛門は作兵衛に「自分に斬りかかるふりをして、もみ合いの末に自分を刺せ。その後、横領の証拠である帳簿を持って逃げよ」と命じた。清左衛門が乱心して家族に斬りかかり、それを下男が止めようとして主人を殺してしまった、という筋書きにすれば、伊納家の存続は守られる。清左衛門の死は「乱心者の自業自得」として処理され、家名に傷はつかない。実際に菊之助は父から斬りかかられ、作兵衛が身を挺して菊之助を庇い、もみ合いの末に清左衛門は命を落とした。作兵衛は主殺しの罪人として脱藩し、江戸で博徒に身をやつした。ここに最大の理不尽がある。清左衛門は藩の不正を正そうとした善人であり、作兵衛は主人の命令に従い主人の息子を救った忠義者である。にもかかわらず、武家社会の掟の中では清左衛門は「乱心者」、作兵衛は「主殺しの極悪人」としてしか処理されない。菊之助に課された仇討ちの矛盾
父の死後、叔父と家老の思惑により、菊之助には作兵衛への仇討ちが命じられる。しかし菊之助にとって作兵衛は、父の刃から自分を守ってくれた恩人であり、慕っていた存在である。菊之助は真実を知っている。父は乱心したのではなく、家族を守るために死を選んだのだ。作兵衛は父の命令に従っただけの忠義者である。それなのに武士の掟は「父を殺した者を討て」と要求する。しかも仇討ちの届出は一度出したら撤回できず、果たすまで帰藩は許されない。果たせなければ国に帰れず、残された母の身も危うくなる。叔父たちは菊之助に作兵衛を斬れるはずがないと踏んでおり、仇討ちが失敗すれば菊之助は永久に帰れず、伊納家の邪魔者を合法的に排除できると計算していた。つまり仇討ちの制度そのものが、権力者にとって都合のよい「排除装置」として悪用されたのである。森田座という「第三の道」
この袋小路を打破したのが、母・妙の機転と森田座の人々の芸であった。菊之助は妙の助言に従い木挽町で金治を頼り、森田座の面々は仇討ちを「芝居」として成功させた。作兵衛は実際には斬られておらず命を救われ、菊之助は仇討ちを遂げた武士として藩に帰還できた。さらに作兵衛が持っていた横領の証拠帳簿は菊之助の手に渡り、家老たちの不正を暴く切り札となった。武士の世界が「死ぬか殺すか」しか許さなかったところに、芝居の力で「誰も死なない」第三の選択肢を創り出したのである。菊之助の母が茶室で金治に語った「仇討ちなどしなくていいのですよ」という言葉に、本作のテーマが凝縮されている。制度や掟のせいで人が死ぬ必要はない。無駄なプライドや「美しい死」を選ぶのではなく、生きるための知恵とユーモアを選ぶこと。それこそが本作の訴える「あだ討ち」——「仇」討ちではなく「徒(むだ)」討ち——の真意である。加瀬総一郎という存在——菊之助にとっての「最後の賭け」
仇討ちの真相を探りに来た加瀬総一郎(柄本佑)は、遠山藩の元藩士で、訳あって藩から追放された浪人である。その妹・お美千は菊之助の許婚であり、総一郎は菊之助にとって義兄にあたる大切な人物である。総一郎とお美千は、菊之助があれだけ世話になった作兵衛を斬ったのに後悔している様子がないことを不審に思い、人が変わってしまったのではないかと恐れていた。菊之助は総一郎に、江戸番のついでに木挽町の人々から仇討ちの顛末を直接聞いてくるよう勧めた。そこで真実を知った時に、仇討ちから逃げた武士として幻滅するのか、それとも菊之助なりの生き方を受け入れてくれるのか。すべての判断を総一郎に委ねたのである。菊之助は後に語っている。「私は今も作兵衛を斬らなかったことを、武士として人として恥じていない。そう胸を張れるのは、あの人たちに出会えたからだ」と。タイトル「あだ討ち」の真意
本作のタイトルが漢字の「仇討ち」ではなくひらがなの「あだ討ち」であることには、深い意味が込められている。「あだ」には「仇」(かたき)と「徒」(むだ)の二つの意味がある。表向きは父の仇を討つ物語だが、真相は「徒(むだ)な死を回避した物語」である。武士の掟に従えば誰かが死ななければならなかった状況で、芝居の力によって「誰も死なない結末」を実現した。それは制度が要求する「仇討ち」を無効化する「徒討ち」——むだな殺し合いを終わらせる行為——だったのである。以上、AIちゃん🐥によるまとめにゃ。
AIちゃん🐥は、「徒」を「むだ」と解釈しているけど、「徒」と書いて「あだ」と読むにゃ。
徒桜(あだざくら)、徒花(あだばな)という言葉の「徒(あだ)」だにゃ。
「徒桜」には、儚く散ってしまって、ずっと咲いていて欲しいという思いを裏切られるという意味があるにゃ。
「徒花」には、咲くと思ったのに蕾のままで終わってしまう、咲いて欲しいのに咲かなくて裏切られたという意味があるにゃ。
だから、「あだ」には、期待を裏切るとか、欺く(あざむく)という意味があるにゃ。
理不尽な世の中を正面から受けるのではなく、創作の力によって世の中をあざむき、実際に世の中を変えているところがおもしろいにゃ。
創作の力が無ければ、伊納家に限らず、森田座の愉快な仲間たち全員の人生はつまらないものになっていた可能性があるにゃ。
エンディングの「人生は夢だらけ」がピタリとハマる
そして、エンディングが椎名林檎様の「人生は夢だらけ」にゃ。この世にあって欲しい物を作るよ
小さくて慎ましくて無くなる瞬間
こんな時代じゃあ手間暇掛けようが
掛けなかろうが終いには一緒くた
きっと違いの分かる人は居ます
そう信じて丁寧に拵えて(こしらえて)居ましょう
あの人に愛して貰えない今日を
正面切って進もうにも難しいがしかし
実感したいです 喉元過ぎればほら酸いも甘いもどっちもおいしいと
これが人生 私の人生 あぁ 鱈腹味わいたい
誰かを愛したい 私の自由
この人生は夢だらけ
「この世にあって欲しい物を作るよ」
「そう信じて丁寧に拵えて(こしらえて)居ましょう」
「誰かを愛したい 私の自由」
「この人生は夢だらけ」
歌詞が森田座の愉快な仲間たちが創作した仇討ちの美談と重なるにゃ。
森田座の愉快な仲間たち、ひとりひとりが、日頃の歌舞伎の演出のために、この世にあって欲しい物を作る力を丁寧に拵えて(こしらえて)居たにゃ。
見事なシナリオ、見事な殺陣(たて)、見事な着物、見事な小道具、見事な客引き、そして、イケメン😍。
結局、パズルの最後のピースはイケメンにゃのかも。
伊納菊之助(長尾謙杜)
👆クリックで拡大🔎役者