Tool作り始動

Last Updated:2021/12/19(日)
土曜日は午前中、ピアノレッスン。いつものように練習ほぼゼロ。7時半に起きたけど、日記を書いていたら8時半。朝から日記に1時間費やしたせいで、レッスンへの出発に向け身支度だけで精一杯、ピアノに触ることもできにゃい。雪が30cmも積もる中、駆け出して家を出たにゃ。

いつもピアノレッスンでは先生に申し訳ない気持ちだにゃ。練習せずに先生にレッスンをいただくのは少しマナー違反だと思ってましゅ。なんの努力もしてないのに、教えを請うのはよくないにゃ。今日は今年最後のレッスンだったので、今年1年のお礼をお伝えしました。1ヶ月に2回のレッスン。本来なら間の2週間、自宅でしっかり練習してこそ意義のあるレッスン。それなのに、、。この1年間ほとんど自主練はゼロ。月に2回のレッスンの時間が練習の時間となってしまったにゃ。

でも、レッスンには急の出張で行けなかった1回を除いて皆勤賞。1年前より明らかに上達したにゃ。もし、毎日30分でも継続していたら、一体どんなに上達できていただろうと思う。絶対音感は3歳といったごく若い時期からピアノを始めていないと会得できないと聞いたことがあるにゃ。でも、にゃんは大人になってからも努力次第でなんとかなると妄想しているにゃ。

絶対音感は学習能力さえ消え失せてなければ、誰でも会得可能だにゃ。

この、にゃんこの仮説を証明するための大人ピアノ。生涯をかけての壮大な検証にゃ。にゃんの検証を通じて現時点で既に明らかになっているこもありましゅ。大人になると、厳密に言えば社会人になると労働に1日の大半を奪われ、学習が阻害されちゃうことだにゃ。物理的にピアノと向き合える時間がにゃい。1日の時間から労働時間を差し引くと、衣食住のための時間、具体的には、睡眠時間や食事を買ってきたり、調理したり食べたり、食器を洗ったり、そしてアニメを見るなどの癒し時間しか残らないにゃ。

アニメを見るなどの癒し時間を削ればよいのではないでしょうか?

その通りだにゃ。例えば、ソーシャルネットワークゲーム退会によってこの日記を書く時間を捻出できたにゃ。ただ、ほんとはソシャゲー退会はしたくなかったにゃ。涙の決断だったにゃ。丸三年、1092日間連続ログインしてきたゲーム。毎日、チャットでお話ししてきたのでゲーム友との絆はリアルな会社の同僚より強いにゃ。

ソシャゲーには経営者、お医者さんや薬剤師さんなど、立派な方々も多くいらしたにゃ。にゃんが生きている絶望世界と同じ時間軸に同居する別の煌めいた世界。様々な方々とのチャットの中で、その志に触れ(今日も酔い潰れてま〜しゅ、ゲップ、、という会話が99.9%。にゃんだけど。。そんな繰り返しの中にレアガチャよりレアな神回は生まれましゅね)、にゃんの心が変化したにゃ。

仮想世界の経験を通じて信念とかマインドセットといった価値観が変化。その結果、現実の世界も変化してきたにゃ。つまり、「アニメを見るなどの癒し時間」が今を生きるにゃんこを形作っているにゃ。

逆に言えば、ソシャゲーやってなかったら、今生きている保証すらにゃい。アニメ、小説、ゲーム、映画。人の心を震わす傑作の根底には絶望・努力・友情・勝利といった要素があって、その鑑賞は少なからず生きる希望になるにゃ。だから、アニメを見るなどの癒し時間を削れにゃい。今のにゃんからアニメやゲームの世界を無くすと、絶望世界だけが残る。絶望世界では、嘆き😩、苦しみ🤢、恨み💢、嫉妬😤など、絶望世界をより一層それらしくすることに時間は消費されちゃう。

じゃあ、奴隷からは抜け出せないね、衣食住を維持するための労働を嫌々続けて、心を保つためには現実逃避の日々では。奴隷の子は一生奴隷。抜け出せない構造、見えない檻に囚われている。この廊下をまっすぐ進んで右に曲がれば出口です、そんなに甘くない。出口なんてにゃいのだから。脱走するしかにゃい。現実逃避ではなく、リアルで脱獄の企てが必要だにゃ。

距離=速度×時間

だから、速度を上げなきゃ、時間も捻出しなきゃ。それができるか否かが、脱獄の成否をわける。速度とは、例えばブロガーとして良質な文章を紡ぎ出していく速さ。文章が下手、タイピングが遅い、そんな現状のままではブロガーとして、スタートラインにも立てにゃい。土曜日、その現状を打破するためのTool(道具)の制作を始動。技術調査で日曜日の午前3時ごろまで取り組み、寝落ち。日曜日は10時から、TVを片目に見ながらこの日記を書きました。4時間もかかってるにゃ。今後は日記執筆時間は30分制限とするにゃ。