時間と空間を操る「量子力学的」習慣術

Last Updated:2022/02/21(月)
11時40分起床。

土曜日はだらだらしているうちに、日曜日の午前4時になってしまったにゃ。なんの実りもない1日。時間の浪費。会社員だから会社に拘束されてる間は社畜として奴隷同然で扱われても仕方がない。でも、タイムレコーダーをきって業務時間を終えたなら、そこからは自由だ。その自由な時間をYouTube視聴という不毛なことに浪費してにるにゃ。このままでは、社畜から抜け出せるわけがない。貧困から抜け出したいという思いとは裏腹に、社畜の道をひた走っている。平日、仕事で疲弊して土日、疲れ果てていては一生社畜。

土曜日よりはマシな1日にしたいと朝から思ったにゃ。ただ、土曜日に午前4時まで起きていた時点で、日曜日のスタートは相応の遅れ。正午前に起きてaudibleで本を探して、すぐにジョギングに出発。今日は「時間と空間を操る「量子力学的」習慣術」を聴きたにゃ。

作者の考えはだいぶ個性的で、「マインドとはフォトンである。」という意味が理解できないもの。要するに「人生は本人のやる気次第」ということなのだと思いますが、そのことを説明するために量子力学という学問を持ち出し、独特の世界解釈のもと「フォトンの周波数を高めるように行動する」といったキテレツ怪奇な説明をされています。よい習慣作りと量子力学は明らかに直接的な関係は無いとにゃんは思うけど、作者が言ってることは、よくわかりました。

結局のところ、自分がなりたい自分になるためには、なりたい自分だったら起こすであろう行動を起こすしかありません。ソファーでゴロゴロしていれば、そういう行動や、その結果が自分自身に影響するし、ピアノを練習すれば、その行動や結果が自分自身に影響します。作者は「フォトンの数や、その周波数の高まりを意識することが重要」と説きますが、言ってることはお金が貯まる習慣と全く変わらないと思ったにゃ。

浪費癖があれば、お金は消えていく。貯金できれば、貯まっていく。お金を投資などでうまく活用すれば増えていく。この話のお金をフォトンに置き換えたような話でした。

ジョギングは雪と風の中、10Km走りました。

途中、トンビかガードレールの上にとまっていました。猫と鳥って、なんだか似ていて、そのトンビと友達になれないかと思い。そのトンビのいる道を往復して走りました。トンビまで1m程度の至近距離まで近づいたのですが、2回近づき2回とも逃げられてしまいました。ただ、ずっと同じガードレールで待っているのをみると人馴れしている気もするにゃ。

途中、昼食をとったり寄り道をしたので、帰宅したら15時半。風呂で「時間と空間を操る「量子力学的」習慣術」の続きを聴き終えたにゃ。風呂からあがったら、ポカポカとリラックスした気分になり17時から21時まで、またしてもソファーでゴロゴロしてしまいました。21時から北京オリンピックの閉会式が始まって、しばらくテレビを見てからようやくピアノ練習に着手。月曜日の0時過ぎに金曜日の日記を書きあげたあと0時5分からの進撃の巨人を見終わってから、この日曜日の日記を書き上げました。

あいかわらず、ソファーでゴロゴロすることが、にゃんから時間を奪い、にゃんを会社の奴隷として束縛することにつながっている。

会社の奴隷から解放され、貧困から抜け出すためには、ソファーを避けなければならない。

にゃんの生活の全てが悪いわけではないにゃ。この日記をつけ始めて、今ではほぼ毎日ピアノの練習をする習慣ができたり、溜めがちながらも日記も3日坊主にならず続いている。東北の2月、風と雪の中でも毎週日曜日には10km走っている。audibleで常に新しい知見も身につけている。

だから、この日記をつけ始める前のにゃんよりは、少しはマシになっているにゃ。

来週は、その日の日記はその日のうちに書き終わるようになっていくにゃ。