社畜憲法第一条 相手の様子を伺う

Last Updated:2022/04/12(火)
7時15分起床。18時40分帰宅。帰宅とともに、風呂の追い焚きボタンを押して昨日買って食べられずに冷蔵庫にいれていた唐揚げをレンジでチンして食べた。それと、納豆たまごご飯とレタス。テレビではまだ18時代の番組がやっていて、まだまだ時間があると感じていたにゃ。唐揚げは8個ぐらい食べた。一番搾りも飲んだ。そしたら、急激に眠くなったにゃ。ソファで少し眠った。そのまま、ずっと寝てしまおうとも思った。昨夜は午前2時過ぎまで起きていて、日中は朝と夕に部長、課長と3人での打ち合わせ。部長に罵倒させれると、何も良いことがないので、発言と振る舞いにかなり気を使った。打ち合わせ終了時間が来ると、10ラウンドを戦い終えたポクサーのようにクタクタになったにゃ。そして、KOされなかったこと、つまり、罵倒されなかったことに安堵した。このまま、会社では自分の考える正論を述べるのではなく部長に罵倒されないことを主眼に置いて取り組むにゃ。それが、社畜の生きる道。社畜の生きる道、それは、逃走でも闘争でもない。それは、お客さまの懐に入り込むことにゃ。真の市場のお客さまの懐には、会社がしっかりと入り込もうと取り組んでいるのだから、その会社で部や課を任されている部長や課長と闘争したり、打ち合わせの場から逃走しては社畜としては失格だにゃ。にゃんにお給料と評価を与えているのは会社なのだから、にゃんの選ぶ道は会社の指示に従って成果を出すことにゃ。会社での正義は、にゃんにはなく会社にある。会社がウクライナ市民を血祭りにあげよとか、2、3個、原子爆弾を投下しなさいと言われたら、それに従うのが社畜の正義。もちらん、会社でそんな非道は推奨されていない。上司とにゃんの摩擦は非常に些細な相違だにゃ。その些細な相違について、逐一歯向かうのは心身を擦り減らす行為だにゃ。対上司に対しては、「説得する」のではなく「お伺いを立てる」という向き合い方が重要なのではと思う。対上司に限った話だけではないにゃ。「説得する」という考え方には、自分が正しい見地に立っていて、間違っているバカな相手を説き伏せるといった闘争に通じる意味合いがあると思うにゃ。相手の懐に入るという社畜憲法の第一条に反すにゃ。「説得する」という見地は捨てて、「相手の様子を伺う」といった見地を持つことで、結果的には自分が相手に協力を求めることに対して、相手の力を得ることができると思うにゃ。いろにいろと論理や比喩を並べて、自分の言いたいことを何十分も話す人と、「最近、どうですか。」と自分に気遣いを見せてくれる人、どちらの言葉が受け入れられるだろうか。にゃーん。