お客様は神様ですとは その言葉に秘められた信念「Twiceでございます、お客様は神様です」

Last Updated:2023/01/14(土)
一日一行日記、連続八十七日目。

昨夜は23時前から日記を書き始めて、午前3時まで4時間もかけて日記を書いたにゃ。就寝は結局、午前4時頃。

今朝は在宅勤務なので、朝8時までなんとか眠ることができたにゃ。

今日はZoomというWEB会議システムで、上司との人事考課に関する相互面談があったにゃ。

評価は思いのほか、よかったにゃ。ホッ。

大人の通知表には改善すべき点の指摘欄もあるにゃ。

「全てを自分一人で抱え込んでしまう面があり、計画が見えないことがあった。」
(つまりは、プロジェクト推進者としての資質に欠ける)

と画面に表示されていたにゃ。人事考課はシステム化されていて、WEBで見られるようになっているにゃ。

その指摘について、にゃんとしては言い訳したい気持ちがあったにゃ。でも、こらえなきゃ。言い訳しても意味はにゃい、むしろ、全くの逆効果だにゃ。

なにがどうあれ、上司がにゃんこ先生にそういったご不満を持たれているのが事実なのだから、社畜としては、そのご不満の解消に務めることが全てだにゃ。

ずっと昔の記憶「お客様は神様です」

社畜である以上、お客様は上司だと思えばいいにゃ。「お客様」という言葉に関して、にゃんこ先生がまだ子どもだった頃の思い出があるにゃ。

行きつけの大衆食堂の壁に掲げられた色紙にあった「お客様は神様です」という言葉

昔、家族でよく行っていた大衆食堂の壁に

「お客様は神様です」

色紙がサランラップに巻かれて掲げられていたにゃ。さぞ、意味ありげな感じがあったにゃ。子どものにゃんこ先生はそれを見つけると、

「これは、なんにゃ?」

と、店の奥さんに聞いた。

店の奥さんは答えた。

「にゃんこ先生は、神様のようにありがたい存在だということよ。」

あったかい気持ちになったにゃ。

「どうしてにゃん?」

子供のにゃんこ先生は聞いた。

「にゃんこ先生が大人になったら分かるわよ。」

奥さんは、謎めかしく答える。

「はやく、大人になりたいにゃ。」

子どものにゃんこ先生は言った。

そして、今、大人となったにゃんこ先生は思う。

「子どもに戻りたいにゃ。」

そして、店の奥さんが教えてくれた「お客様は神様です」の意味も今になってようやく分かったにゃ。

今、まさに分かったにゃ。

今、この日記を読んでくれているあなた様は神様です。

それは明らかな事実だにゃ。

この完全に私的なWEB公開日記を誰かが読んで、何かを感じてくれる保証はどこにも無いにゃ。

この日記はにゃんこ先生の心の中のことだにゃ。過ぎ去った出来事だったり、そもそも存在もしていない架空の出来事だったり、境界のない、量子のゆらぎの雲のようなもの。

それをキーボードを叩いて文字にし、世界標準のコード化ルールに従いデシタル化し、データベースに保存し、それを、今、あなた様のWEB画面に表示されているにゃ。

そして、あなた様の網膜がWEB画面の光の明暗を取り込み、最終的に今、あなた様の心に届けられたにゃ。

そして、にゃんこ先生の「YouTool」というサイトをたまには覗いてみようと思って頂くか、二度とは見ようと思わないかの評価がなされるにゃ。

今まさに、にゃんこ先生の「YouTool」の存在意義は、あなた様次第だにゃ。

こういったことは、全てに言える。

大衆食堂に家族連れで来る常連の客が、そのお店にまた来たいと思えば、その分だけ食堂の存在意義は高まるにゃ。

会社では上司から高く評価したいと思われてこそ、その分だけ部下の存在意義は高まるにゃ。

偉大な神様にしたっておんなじだにゃ。

初詣に出向いて、賽銭なげたり、お守りとか、いろんなグッズを買ってくれた人に、その分だけの御利益があるにゃ。

「お客様」というと「お客様」の方が上で、自分をへりくだっているような感じがあるにゃ。でも、事実としては完全に対等だにゃ。

お客様にとっての自分の価値だけが、自分の価値だにゃ。

今ご覧になられているこの画面もそうだにゃ。

背景があっての文字。文字があっての背景。

お客様があっての食堂。食堂があっての利用者。

上司があっての部下。部下があっての上司。

男と女。

出会いと別れ。

終わりのはじまり。

何のことだか分からなくなってしまったにゃ。

上司からの人事考課で、納得のいかない嫌な指摘をされた状況の捉え方

上司との人事考課に関する相互面談の話に戻るにゃ。

上司から成長のための改善点を指摘され、

「いいえ、にゃんこ先生は、そうだと思わないにゃ、プイっ💢」「あなたの方こそ、どうにゃん?あなたに人を評価する資格があるにょ?プイっ💢」
「それって、あなたの感想ですよね?プイッ💢」

といった姿勢が多少なりとも過去のにゃんこ先生にはあったにゃ。今でも、まだあるにゃ。

流石に言葉として、そんなことは発していにゃい。でも、言葉としては発していにゃいにしても、そういったネガティブな思考は現実にネガティブな影響を及ぼすにゃ。

「お客様は神様です」

相手からの評価を得たければ、常にそういう心持ちでいることは重要だと思うにゃ。

人事考課で納得のいかないマイナスコメントがあったら、それは、相手から見た自分の価値のノビシロと捉えるべきだにゃ。

ちなみに、「お客様は神様です」の由来は下記だにゃ。

上述の解釈でおおむね正しいにゃ。

でも、大衆食堂に掲げてあった「お客様は神様です」の掛け軸には何の意味もなかったのかもしんにゃい。

単純に店主が三波春夫のファンだったからだと思うにゃ。遠い記憶をたどると三波春夫の曲ばかり流れる大衆食堂だったし、掛け軸の横には三波春夫のポスターも一緒に掲げられていたにゃ。うっすらとだけど、そんな記憶があるにゃ。


お客様は神様ですの由来

お客様は神様ですの由来は、三波春夫が「三波春夫でございます、お客様は神様です。」と毎回言っていたので、三波春夫のキャッチフレーズのように思われがちだにゃ。

ただ、その言葉の意味は、下記の通りだにゃ。

引用元:三波春夫オフィシャルサイト「お客様は神様です」について
『歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払ってまっさらな、澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。ですからお客様は絶対者、神様なのです』

お客様は神様ですの真意

上記、三波春夫オフィシャルサイトの文面からお客様は神様ですの真意とは、下記だと言えるにゃ。

演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件。だから、お客様は絶対者、つまり、神様と同等の存在なのです。

NiziUバージョンの「お客様は神様です」

NiziU の挨拶

We need U, we are NiziU.


昭和風に意訳すれば、

「NiziUでございます、お客様は神様です」

Twiceバージョンの「お客様は神様です」

Twiceの挨拶

one、two、three、One in a million、アンニョンハセヨ Twiceイムニダ


昭和風での日本語訳:
「いっち、にーの、さん、お客様は神様です、こんにちは、Twiceです!」

このTwiceの挨拶に関しては諸説あるにゃ。巷ではTwice自体が「百万あるグループの中の特別な存在」といった解釈が出回っているにゃ。でも、その解釈はちがうにゃ、と思う。

Twiceの意味は「2度目」。

Twiceのファンクラブ「Once」が「1度目」。

Twiceの存在は、Onceの存在がないと成り立たないにゃ。なぜならば、1度目があってはじめて2度目が存在しうるのたから。

つまり、Twiceの挨拶には「かけがえのないファンにサポートされたTwiceです、こんちゅわー。」という意味があると思うにゃ。

三波春夫風に意訳すれば、下記でもいいにゃ。

「Twiceでございます、お客様は神様です」

かなり昭和ナイズドされちゃうけど。

まとめ

うまくやってくためには、「お客様は神様です」という心持ちが大事だにゃ。実際に絶大な人気を博しているカリスマは、昭和の昔から令和の現代に至るまで、そういったカスタマーファーストの精神を貫いているにゃ。

嫌な奴まで好かれる必要はにゃい

まとめだけど、脱線しちゃうにゃ。

ただ運悪く、本当に嫌な客や嫌な上司とマッチングしてしまうハプニングも人生にはつきものだにゃ。

客や上司の仮面をかぶったクソ野郎は存在するにゃ。クソ野郎まで大切に思う必要は無いにゃ。

ただ、そういった客や上司を相手にしなくても生きていけるような強さは必要だにゃ。そういった強さを身に着けたいと奮闘しているにゃんこ先生のサイトがこの「YouTool」だにゃ。

あなた様の人生を便利なToolで輝かせることは、にゃんこ先生をクソ野郎地獄から救うことに繋がると確信しているにゃ。

今、この日記を読んでくれているあなた様は神様です。

それは紛れもない事実だにゃ。