ペットロスからの立ち直り

安らかに眠る猫
Last Updated:2024/11/15(金)

飼い猫との死別

10月、飼っていた猫が死んでしまったにゃ。

実家の猫にゃ。

にゃーは転勤前、実家に住んでいたにゃ。

その猫、実家の縁の下で産まれたの。

実家で生まれ、実家で育ったの。

だから、その猫とにゃーは歳の離れた兄弟にゃんです。

血のつながりも、見た目も、全然違うけど、同じ家族だったのです。

生まれながらに弱い猫

その猫ちゃん、産まれた時から体の弱い子でした。

実家、縁の下、産まれた猫ちゃん、全部で4匹。

そのうち、3匹の猫ちゃんは、ゆず、れもん、ぽんず、と名付けられ、すぐに里子に出されたにゃ。

残り1匹、里子には出せなかった。

死にかけていたのです。

片目は閉じたままだったにゃ。

母の愛

それでも、にゃーの母はその猫を可愛がりました。

そして、ことし10月、15年の天寿を全う(まっとう)にゃ。

閉じたままだった片目、母は獣医からもらった目薬を点眼し続けたにゃ。

ある日、その片目が開くようになったにゃ。

ただ、その開いた目は、白濁していたにゃ。

眼球の全体に白いモヤがかかっている。

その白くなった目は、機能していないように見えたにゃ。

それでも、母は献身的に猫ちゃんの回復に尽くしたにゃ。

毎日のように獣医に連れて行っては、目薬をもらって、点眼し続けたにゃ。

すると、変化が起きた。

少しずつその白濁も薄れていったにゃ。

最後には普通の目になったにゃ。

獣医からは猫ちゃんの将来について嫌なことを聞かされていたにゃ。

この猫は産まれながらの野良の猫ちゃん。

だから、すでに体内に多くの細菌を持っている。

今は若いから免疫があるけど、将来は目が見えなくこともあります。

と言われていたにゃ。

はっきりとは宣告されてはいないけど、猫エイズだと思ったにゃ。

人間がエイズに感染すると、免疫の機能が失われて病気になりやすくなるけど、猫にも似た病気があるにゃ。

それで、にゃーは、この猫がいつかは失明するだろうと思って、不憫に思っていたにゃ。

でも、結局最後まで、目に障害が出ることはなかったにゃ。

死因は、まったく別の病気でした。

病気というより老衰と言ってもよくて、15年の立派な天寿を全うしたにゃ。

にゃーの担当は、この猫と遊ぶことだけ。

この猫を世話したのはお母さんだにゃん。

死の知らせ

飼い猫の死は、10月のある木曜のお昼どき、母からのLINEで知ったにゃ。
その日、にゃーはたまたま出張で遠出していたにゃ。

出張先で昼食のお店を探そうとiPhoneをカバンから取り出して着信に気づいたにゃ。

12時11分、母からLINEでメッセージを受信したにゃ。

猫の死を知らせる内容だったにゃ。

12時24分、母に折り返し電話したにゃ。

電話がつながると、母は泣いていたにゃ。

死の理由

転勤により実家から離れていても、にゃーは母によく電話するにゃ。

だから、離れていても猫の様子はよく知っていたにゃ。

9月に入って、実家の猫は歩けなくなった。

メニエル病といって、平衡感覚がおかしくなる病気。

8月の夏季連休に帰省した時、猫はまだ元気だったにゃ。

でも、その時、眼球が小刻みに揺れているのに気が付き、気になっていたにゃ。

猫の15歳は、人間での76歳に相当するにゃ。

人も歳を取ると、眼球や手先が小刻みに震えることがあるにゃ。

眼球の震えは、そういった老衰によるものだと思ったにゃ。

これといって、病状もなく特に心配はしていなかったにゃ。

これまで通り、散歩して、食事して、トイレに行って。

今から振り返れば、その眼球の揺れは、メニエル病の症状だったにゃ。

獣医が言うには、その目が震えているような状態は、「目が回っている」という状態で、その時すでにその小さな猫ちゃんは病気と闘っていたにゃ。

メニエル病

ひとえにメニエル病と表現されていても、症状や原因はいろいろあるみたい。

平衡感覚をつかさどる器官は、耳の中にあったり脳にあったりするにゃ。

原因が耳の場合は、まだ治りやすいにゃ。

耳には三半規管という平衡感覚をつかさどる器官があるにゃ。

その三半規管が加齢や一時的な疲労で機能不全になることがあるみたい。

血流やリンパの流れが、血栓や硬化した血管の狭窄で遮られて、酸素や栄養が届かなくなっちゃう。

だから、逆に血栓が流れたり、血管が柔軟性を取り戻したり、拡張したりして、三半規管に十分な栄養が行き渡るようになれば、回復することもあるみたいにゃのです。

でも、原因が脳の場合は厄介にゃ。

一度認知症になった老人が、注射や薬で回復したという話は、聞いたことがにゃい。

幸いにもうちの猫の場合は、獣医で注射を打ってもらったら回復した。

そう、母から聞いていたにゃ。

いっとき、猫はよたよたと歩き、バタンと倒れて、まともに歩けなくなっていたにゃ。

それが、注射を打ってからは、また歩けるようになったというのだにゃ。

だから、脳の病気ではなく、耳からの問題だと思っていたにゃ。

注射のおかげで三半規管に悪影響を及ぼしていた血栓が溶けたり、血管の柔軟性が回復したのかにゃ。

そんな風に、にゃーは楽観的に思っていたにゃ。

でも結果は、歩けなくなってから1カ月後には死んでしまったにゃ。

回復は一時的なものだったにゃ。

何気ない日常の幸せ

メニエル病にかかり、歩けなくなった猫を母は悲しんでいたにゃ。

だから、獣医の注射が効いて、また歩けるようになったと聞いた時、母はとても喜んでいたにゃ。

ある晩の出来事

猫は歩けなくなったことで、当然2階への階段も上がれなくなったにゃ。

実家の階段は段差が高いにゃ。
朝起きた時などは、手すりにつかまりながら、一段ずつゆっくりと慎重に降りなければならないほどにゃのです。

2階にあがるのは健康な猫にだって一苦労だにゃ。

メニエルで平衡感覚を失った猫では、2階に行くことは無理にゃ。

それなのに、不思議なことがあったの。

猫が歩けなくなってしばらくしたある晩に、突然、2階の母の寝室まで、その猫がやってきたことがあるにゃ。

2階まで上がれることは猫の回復を意味するにゃ。

母はそのことをすごく喜んで、にゃーに電話してきたにゃ。

その時はまだ、病状について正確に理解していなかったにゃーは、「そんなに喜ぶことかにゃ〜。」と思ったにゃ。

でも、猫の死を知って、その時の母の気持ちがわかったにゃ。

猫が病気で動けなくなった。

それまで15年間、毎晩、母の部屋に寝に来ていた猫が、2階まであがってこれなくなってしまった。

猫は毎晩、寝る時間になると、2階の母の寝室に行って、母の枕元で寝ていたにゃ。

そこには、安らぎがあったにゃ。

その猫にとって、最も安心できて心地がよい場所は、母の枕元だった。

夜、猫がやってきて、母の枕元で寝る。

15年間続く、平凡な日常にゃ。

そこには、幸せがあったにゃ。

その日常が途絶えることは、母にとっては大きな悲しみだったにゃ。

だから、ある日、ひょっこり、また昔のように2階に上がってきた猫を見て、母はとても喜んだのです。

にゃーにとっての最後の思い出

2024年、この夏休み、にゃーが帰省したとき、猫はまだ元気だったにゃ。

猫の15歳は、人間での76歳。

見た目は赤ちゃんのようにかわいい猫ちゃんなのだ。

でも、その時すでに病魔に侵され、寿命は迫っていたにゃ。

それでも、にゃーがパソコンでプログラミングをしていると、猫はにゃーのMacBookの上に乗ってきたにゃ。

椅子や袖机を階段のように使って、机の上に乗ってきたにゃ。

その机は子ども部屋に不釣り合いな大きな白い机だにゃ。

その机はサラサラと肌触りがいいので、猫は気に入っていたにゃ。

そして、その机でにゃーがプログラムをしていると、そのMacBookをタイプする腕の間に猫はスポッとはまり込んだにゃ。

そこで猫は、ゴロゴロと気持ちよさそうに喉を鳴らしていたにゃ。

にゃーにとって、その猫との最後の思い出、それは、夏、白い机、そのうえにあがって、ゴロゴロと喉を鳴らすご機嫌な猫。

猫を両腕に挟んで、MacBookでプログラムを書いたことにゃ。

でも、にゃーが机に座る時間は長いにゃ。

パソコンのキーボードを叩く音や、BGMにしているYouTubeの音。

机に吹き付ける冷房の風。

音も風も長時間は猫には悪いと思ったにゃ。

それで、机の上で眠る猫を抱っこして、1階に降り、ソファーの上の猫のベッドに乗せて寝かせたにゃ。

それが、猫にはご不満なご様子。

ベッドに乗せられると、「にゃ〜」と一声鳴いた。

そんなことを帰省中、毎日のように繰り返していたにゃ。

もう、あの温かな日常は戻ってこないにゃ。

猫は温かい存在

猫は、人間にとって、温かい存在だにゃ。

文字通り、もふもふの毛並みと、体温の高さが温かいということもあるにゃ。

でも、それ以上に、猫は人の心を温かくしてくれる存在だにゃ。

まだ、にゃーが実家で暮らしていた頃、長い出張からヘトヘトになって帰宅すると、猫が玄関までノロノロと歩いてきて、玄関マットでパタンと寝転がって、にゃーを迎えてくれたことがあるにゃ。

猫なりの「おかえり」にゃのだ。

にゃーの苦しい状況

にゃーが、夏休みの帰省で実家に帰ってもプログラミングをしていたのは、にゃーが生活的に苦しい状況だからだにゃ。

にゃーがプログラミングなど自己研鑽に時間を費やしているのは、今の会社を辞めて、転職したいからだにゃ。

にゃーは、ブラック企業に勤めているにゃ。

「うちはブラック企業だからさ。」

そんなポップな一言では片付けられないほど、にゃーには嫌な状況が続いているにゃ。

この日記を書き始めた動機は、そんな嫌な状況の打破は、にゃーと同じような状況にある人の参考になると思ったからだにゃ。

会社で、あるいは、社会で。

もっと言えば、人生で。

人生に苦しみはつきものだにゃ。

ゴータマシッダールタ、釈迦、仏陀、シャカ、といろいろな名前で呼ばれる人は、人生に苦しみがあることを教えたにゃ。

生きる、老いる、病気になる、そして、死ぬ。

それに加えて、現代では、会社での苦しみもあるにゃ。

ろくに働かない上司、その下で働く社畜。

あがらない給料、あがらない職位。

そして、コントロールされない仕事とパワハラ。

嫌な状況だにゃ。

もっと具体的に会社の状況を言えば

もっと具体的に会社の状況を言えば、今年になって、にゃーの勤める会社では、命に関わる深刻な事態まで起きているにゃ。

本来なら、計画性があり、仕事をコントロールして、しっかり成果を出す人が評価されて、会社が成長する。

そんな健全な会社の姿とは、完全に逆行した腐敗した状況だにゃ。

計画や円滑なコミュニケーションでマネジメントができない上司が、部下をコントロールしようとして、暴言、罵倒、そして、昇格の保留とった手段を用いているにゃ。

正しく労務管理されていないから、取り返しのつかない事態が起きるにゃ。

でも、因果関係を立証することは難しく、告発はできにゃい。

内部告発するだけの証拠もどこにもなく、中途半端な告発は、告発者自身を追い込むことになるにゃ。

こんな状況では、会社を辞めることが、最善の選択だにゃ。

仮面社畜のプログラミング

会社を辞めて解決する問題ではない

過去に1度、会社を辞めたことがある

だったら、そんな会社なんて早くさっさと辞めればいいのに。

そう思うかもしれないにゃ。

会社を辞めて解決するような簡単な話なら、とっくに辞めているにゃ。

会社を辞めると、生活ができなくなるにゃ。

にゃーは、過去に一度、会社を辞めているにゃ。

その時は、若かったにゃ。

今と全く同様に、会社が嫌で辞めたにゃ。

起業を試みたにゃ。

起業できずに再就職

でも、プレッシャーと能力不足で、体調を崩して、起業よりも、再就職を選んだにゃ。

社畜になったのは、にゃーの選択だにゃ。

うまくいかなかった再就職活動

再就職活動は、うまくいかなかったにゃ。

再就職の際、にゃーには、約50社ものオファーがあったにゃ。

でも、嫌でやめた元のブラック企業の方が、給料が高く、事業の内容も高度で、他の会社より条件が良かったにゃ。

オファーのあったすべてがブラック企業の匂いがする会社だったにゃ。

だから、全て無視したにゃ。

元の木阿弥

結局、にゃーは自発的に会社を探して、その結果、今のブラック企業に入社したにゃ。

闇バイトに堕ちる

つまり、にゃーの能力は、ブラック企業にしか求められていないにゃ。

人気マンガ「キングダム」には、にゃーの心にグサッと刺さったセリフがあるにゃ。

奴隷は大人になっても奴隷。奴隷の子どもも奴隷。一度奴隷に落ちると、ずっとそうなんだ。

このセリフは、ブラック企業の現実を表しているにゃ。

一度ブラック企業に堕ちてしまうと、そこから抜け出すことは難しいにゃ。

たとえ退職しても、次の就職先もまたブラック企業ばかり。

それが、悲しい現実なんだにゃ。

闇バイトに手を染めるという手

闇バイト事件のニュースを見るたび、実行犯の顔に見入ってしまうにゃ。

にゃーのように追い込まれた状況が、こんな事件を生むのかもしれにゃい。

金はない、社会への憎しみは募る。

そんな苦しみと社会への怒りの中で悪魔が囁くにゃ。

「この家の住人は、ブラック企業を操る既得権益者の黒幕で、不正に搾取した金を蓄えている」

「一緒に、世直しをしないか?」

「世直しへの対価も払う、日当15万円のバイトだ」

「世のため、今日を生きる金のため」

言葉巧みに半グレの反社組織に洗脳され、操られ、気づけば闇バイトに手を染めている。

逮捕された実行犯がカメラに映るたび、その姿に自分を重ねてしまうにゃ。

人生の階段を踏み外せば、にゃーが容疑者としてテレビに映っていてもおかしくにゃい。

ブラック企業の方がマシ

ブラック企業で働き続けるのは嫌だにゃ。

でも、闇バイトよりはマシだにゃ。

離婚確定の冷え切った夫婦関係のように、会社に対するにゃーの気持ちは冷め切っているにゃ。

それでも、子どものために離婚しない夫婦がいるように、毎日を偽るにゃ。

あたかも仮面夫婦のように。

仮面社畜という生き方

にゃーは、仮面社畜だにゃ。
会社を辞めたいけど、生活のために辞めずにいる。

1週間の短い夏休み。
パーッと旅行にでかけたりして遊べばいいのに、遊ばない。
実家に帰って、子供部屋に籠もって、プログラミング、カチカチ。

夏季休暇つかの間の間、仮面社畜が、実家の子ども部屋にこもって作業をすることには、れっきとした動機があるにゃ。
先にも書いた通り、にゃーは昔、会社を辞めているにゃ。起業しようと思って。
でも、1年もたたないうちに体調をくずして、失業給付金が切れると、そのまま起業は断念。別のブラック企業に舞い戻ったにゃ。

子ども部屋に不釣り合いな大きな白い机は、東京の会社を辞めて、田舎に戻った際に、起業を夢見て買ったものだにゃ。

1週間の休みは、起業家のマインドを取り戻すための時間だにゃ。
起業家マインドの象徴とも言える机に向かって、カリカリとキーボードを叩き、マウスをカチカチとクリックする。
仮面社畜が夏休みに実家の子ども部屋に籠もってやるプログラミング。

先ほどご紹介させていただいた「キングダム」のセリフには続きがあるにゃ。

奴隷は大人になっても奴隷。奴隷の子どもも奴隷。一度奴隷に落ちると、ずっとそうなんだ。
でもな、1つだけ方法がある。剣だ。

英語とプログラミングの能力は、奴隷から脱けだすための剣。
ただ、その剣の腕を磨くことは、孤独で、苦しいにゃ。
そんな剣の腕があれば、最初からブラック企業には堕ちていにゃい。

「キングダム」のセリフは、かっこいいにゃ。
でも、奴隷が天下の大将軍になるなんてありえにゃい。
やっぱり、現実には、打ちひしがれるにゃ。

一匹の猫がもたらす温かみ

そんな仮面社畜がカリカリとキーボードを叩く机に、猫はえっちらおっちらと登ってくる。
MacBookの上に平然と立って、にゃーを見て「にゃー」と言う。
そして、MacBookとにゃーの両腕の間に丸く収まって、ゴロゴロと喉を鳴らす。

猫がまだ元気だった頃

猫がまだ元気だった頃、その猫はにゃーと遊ぶのが大好きだったにゃ。
「にゃーと一緒に遊ぶのが最高なのだにゃ〜」

その猫は、ネズミのおもちゃをにゃーが投げることを心待ちにしていたにゃ。
「そのネズミ、投げるのだにゃ、頼む」
そんな願いを込めた目で、にゃーとネズミのおもちゃを見つめていたにゃ。

にゃーがそれを投げると、猫は目を輝かせて追いかける。
そして、犬のように誇らしげに、ネズミのおもちゃを持ってきて、にゃーに渡す。
それを疲れるまで繰り返した。

猫が歳をとってからも

そんな猫も歳をとり、近頃ではもうすっかり遊ばなくなったにゃ。

でも、猫はにゃーのMacBookの上に乗ってきて、両腕の間に収まって、ゴロゴロと喉を鳴らす。
まるで、ネズミのおもちゃで遊んだ日々を懐かしむような、ご機嫌な表情で。
ゴロゴロ、ゴロゴロ。

いま、この日記をタイプしているときも、目を閉じれば、あの温もりが蘇ってくるにゃ。
猫が両腕の間で喉を鳴らしていた、あの優しい時間。

今でも、その猫のことを思い出すと、胸が温かくなるにゃ。

人生の苦しみを打ち消すもの

これまで、人類は人生の苦しみを和らげる考え方をいくつも生み出してきたにゃ。

ゴータマ・シッダールタが自身の経験から導き出した仏教の教え。
そして、天才ハイゼンベルクが示した量子力学の不確定性原理。

仏教では、「こうあるべきだ」という人の執着と、「諸行無常」という世界の摂理とのギャップから苦しみが生まれると説くにゃ。
量子力学では、物理的な世界の不確定性を受け入れることで、人生の苦しみを和らげられると言うにゃ。

ただ、そういった理屈を理解していても、人生の苦しみは消えにゃい。
仏教と量子力学を学んできた(YouTubeによる自習だにゃ)にゃーが、今も苦しんでいるのだから。

人生の苦しみを打ち消すものなんて、あるの?
あるにゃ。
そう、猫だにゃ。

その猫には名前があった

その猫には名前があったにゃ。

「プリン」という名前。

「プリン」の存在について、にゃーの文章力では到底表現できにゃい。
それでも、「プリン」の存在の大きさについて書き残したいのだにゃ。
母からの電話やLINEの引用で、プリンの存在についてお伝えするのだにゃ。

プリンが回復した日の母からの電話

プリンが歩けなくなってから、一時的に回復した日の母からの電話です。
なんか、注射の効果あったみたい、プリンちゃん、私のとこまで来た、あぁ〜、うれしい。

プリンが旅立った日の母からのLINE

そして、プリンが旅立った日の母からのLINEです。
プリン、朝、息を引き取りました。
明日火葬場に連れて行きます。

ペットロスから立ち直る方法

プリンの死は悲しい。
プリンと一緒に暮らしていた母の気持ちを思うと、悲しい。
もう会えないと思うと、切にゃい。

どんな崇高な宗教も、どんな物理の理論も、悲しみを打ち消すことなんてできやしにゃい。

プリンが死んだことは、悲しいのだにゃ。

AIちゃん🐣、ペットロスから立ち直る方法を教えて。

ペットロスからの回復に関する科学的知見

ペットロスの悲しみは人間が経験する大きな喪失体験の一つとして、心理学的に重要な研究対象となっています。日本心理臨床学会の研究によると、ペットロスによる悲嘆反応は人間の家族を失った際の反応と同様のプロセスを経ることが明らかになっています。

回復のための具体的なアプローチ

東京大学医学部附属動物医療センターの調査では、以下の要素が回復に効果的であることが示されています。思い出の整理と保存(写真アルバムの作成など)、同じような経験をした人々との交流、新しい日課やルーティンの確立が特に重要とされています。

グリーフケアの専門的支援

日本獣医生命科学大学の研究チームによると、専門家によるグリーフケアを受けた人の80%以上が6カ月以内に日常生活への適応を示したというデータがあります。

新しい生活への移行期

国立精神・神経医療研究センターの報告では、故人となったペットへの思いを大切にしながら、徐々に新しい生活リズムを構築することが推奨されています。具体的には、ボランティア活動への参加や、新しい趣味の開始などが効果的とされています。

将来的なペット飼育

日本ペットサイコロジー学会の調査によると、適切な期間を経て新しいペットを迎えることは、多くの場合、心の回復に良い影響を与えることが示されています。ただし、この決定は個人の心の準備が整ってからすることが重要です。
人も猫も犬も、この広大な宇宙の一部だにゃ。
一つの愛された命が尽きる時、どこかで新しい命が芽吹いているにゃ。

仏教では「輪廻転生」というにゃ。
一つの生命は死後、別の形で生まれ変わるという考え方だにゃ。

いつまでも泣いちゃいられにゃい。
死に囚われてはいけにゃい。
新しい命を育むことに目を向けるべきだにゃ。

プリンが死んだ翌日の記録まで

手水舎(ちょうずや)

手水舎(ちょうずや) 👆クリックで拡大🔎
神社での参拝の前に身を清める場所を「手水舎(ちょうずや)」と言うにゃ。ちょうずやで、左右の手と口を注ぎ、身を清めたにゃ。

命の灯火

命の灯火 👆クリックで拡大🔎
ろうそくに火を灯すと、その小さな炎は、小さな猫の命のように思えたにゃ。ずっと灯っていて欲しい。百年でも千年でもずっと。でも、猫なら15年〜20年、参拝用のろうそくなら15分〜20分という寿命があるにゃ。

弔いの炎

弔いの炎 👆クリックで拡大🔎
出張先に立派な神社があったにゃ。平日の朝、人はまばら。鳥居をくぐり、境内を歩き、賽銭箱に千円をそっといれて、ろうそくにマッチで火を灯したにゃ。弔いの炎だにゃ。

安らかに眠る猫

安らかに眠る猫 👆クリックで拡大🔎

今できること、今持つもの全部に感謝

プリンが死んだことは、悲しいんだにゃ。
かけがえのない存在を失うことは、悲しいんだにゃ。
でも、今できること、今持つもの全部に感謝することが大切だにゃ。

燭台に立てた小さなろうそくの炎は、儚くも消えてしまう。
でも、その一方で、またどこかで、小さなともしびが灯されるにゃ。

このブログを読んでくださっているあなた様の存在だって、そうだにゃ。
「一カ月もブログが更新されてませんよ〜」
そう言ってくださった方がいらっしゃるにゃ。
スマホのソーシャルゲームで知り合った方。
少なからず、このブログを読んでくださっている方がいるにゃ。
温かい気持ちになるにゃ。

プリンはその小さな弱い体で、えっちらおっちら、よっこらせと、机の上に登ってきて、
「にゃにをしているのだにゃ?」
と興味深く、にゃーの作業を見つめてくれたにゃ。

歩けなくなったのに、急な階段を登って、母の寝室まであがってきた小さなプリンの気持ちを思う。
「また、お母さんの枕元で、寝たいのだにゃ〜。大好きなお母さんに会いたいんだもの」
プリンは最後に持てる力で、2階まであがってきたにゃ。

現実に打ちひしがれる?
勝手にすればいいにゃ。
にゃーは、君の勇姿を思う。
えっちらおっちら、よっこらせと、大好きな人に会いに行く君の姿を。

プリンちゃん、ありがとう。